#8 お前らオバケは死んでんのになんでそんな元気なんだ

見ず知らずの陽キャ達がビーチで集合写真を撮り始めたら、僕はなるべく写りこまないように場所を譲る。気の合わないタイプの人達だけど、同じ人間だから。みんなの海だから。

 

でもお前らオバケは違う。たった1人で、当たり前のように彼らの後ろに忍び寄り、誰かの肩に手を回す。

 

なんだそのガッツ。

死んでるくせに。

 

「何年も髪の毛切ってません」みたいな頭はこの際どうでもいい。生乾きのレベル超えてビショビショ状態になってるワンピースもどうでもいい。他人の見た目を批判出来るほど僕は美しくないから。

 

でも、その陰湿で遠慮のない振る舞いはどうにかならんのか。

 

陽キャを疎ましく思う気持ちは分かる。僕だって似たような気持ちを抱えるときはある。だけど、思い出の写真を汚されなければいけないほど、彼らは邪悪なのだろうか。

 

邪悪な存在はむしろ勝手に写真に写り込むお前らオバケの方ではないのか。

 

第一、お前が写りこんだ心霊写真にビビる陽キャの姿を、お前は確認できないんだぞ。「ちょ待ってぇ!?この写真、心霊写真じゃねェのォ!?」って陽キャ達が騒ぎ始める頃、彼らはもうステップワゴンに乗って帰り道の高速を走ってるんだよ。お前がうろついてる海にはもう居ないんだよ。

 

「今頃ビックリしてるかな」じゃないんだよ。

 

お前、情けないと思えよ。自分を。

 

あと、大工さんが一生懸命建てた新築の壁にアハ体験みたいなペースで少しずつ人型のシミ広げるのやめろ。マジで意味わかんないから。

 

ひとんち勝手に入ったり、誰かのこと追いかけ回したり、道路の真ん中で仁王立ちしたり、トイレの個室ずっと占領したり。

 

生きてるときにやっちゃダメだったことは、死んでからもやっちゃダメなんだよ。

 

オバケはさ、恐竜を見習えよ。アイツら全く化けて出てこないんだぞ。

 

遡ること6600万年前だよ。メキシコ湾に落ちた巨大隕石がこの星に大規模な気候変動を巻き起こしたんだよ。

 

それによって当時の地球を支配していた恐竜をはじめとする大型生物の時代が終わり、そののち訪れた長い冬を細々と生き残った小型生物達が、雪解けと共に少しずつイキり始め、ちっちゃい鳥が我が物顔で空を飛び回り、ネズミが鼻をほじりながら草の上で屁をこく新たな時代が幕を開けたんだよ。

 

悔しいだろ。お前が恐竜だったら。

 

それでもな、恐竜は化けて出てこないんだよ。

 

長いこと大地の覇者として君臨していたのに、突然降ってきたクソデカ石ころにその栄光を一瞬にして消し炭にされた挙句、かつて自分たちの玉座だった食物連鎖の頂点を虫と木の実をしゃぶって暮らすような能無しのザコ共に奪われておきながら、恐竜は「しゃーなしザウルス」って微笑みながら逝ったんだよ。

 

見習えよ。恐竜をよ。

 

分かったら俺の目の前から今すぐ消えろよ。

 

この部屋からでていけ。

 

怖いんだよお前。

 

今このブログ読んでるやつの家にいけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うしろにいるよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#6 僕はアホです。危ないから離れろ

 

食洗機など持っていないのに、間違えて食洗機用の洗剤を買ってしまったことがある。

 

電車内でAirPodsのバッテリーが切れたから有線のイヤホンを使おうとしたけど、iphoneのバッテリーも死にかけていたので充電を優先せざるを得ず、音楽を聴くことを諦めたことがある。

 

風呂に入って綺麗になったばかりの体でウンコをしたことがある。

 

僕は、アホだ。目の前にある小さくて大切なものに注意を向けることが苦手だし、大まかに先のことを想像する能もない。昔からそうだ。

 

もしも火星人達が僕のことを誘拐して脳みそを調べたら、「地球人はアホだから余裕で侵略できるゾヨ」などとあらぬ勘違いをしてしまうだろう。そして彼らは有り合わせの装備と少ない頭数でこの星を攻め、国連軍の反撃とかでボッコボコにされるのだ。

 

申し訳ない。僕がアホなばっかりに。

 

可哀想な火星人達は、「思ってたのと違うゾヨ」とかブツブツぼやきながらそのまま路肩に停めてたUFOに戻っていく。反重力エンジンの音だけが鳴り響く船内、帰り道の宇宙では誰一人口をきかない。開戦前に「アメリカ全土をエリア51にするゾヨ〜」みたいなこと言ってたひょうきんタイプの火星人も、せめてもの記念にと持ち帰ったネバダ州の土を涙目で見つめながら、恥ずかしさと悔しさに震えるニョロニョロの10本足でキノコ型の頭を抱えるのだ。ああ、また木星人にバカにされるゾヨ…………

 

申し訳ない。僕がアホなばっかりに。

 

人間界に救世主をつくりだすべく、神様が全人類のなかから無作為に選出した1人に全能の魔力を与えたとしよう。もしも選ばれたのが僕だったら最悪である。たとえば神様が「君に全能の魔力を与えた。いずれ使うべき時がくる。コントロールする方法を詳しく教えるから来週の説明会に来るように」と僕に伝えたとしても、出不精の僕はきっと説明会なんて参加しないからだ。そうしてそのまま時は流れ、僕は全能の魔力を与えられた人間が持つべき責任や、これから始まる『悪魔大王ガゾルノフ・ゴルバザーン』との戦いのあらまし、その他もろもろをまるで理解せぬままに日々をダラダラと過ごし続けるのだ。やがては訳の分からないタイミングでうっかり全能の魔力を暴発させることになるだろう。説明会に参加してさえいれば避けられた事態だが、後悔しても遅い。「え、なんか出た。なんで」とか言いながら、今しがた聖なる虹色のエネルギー光線で木っ端微塵に吹き飛ばしたばかりの街を目の前に泣きべソかくのが関の山である。科学のことわりを超越した力によって、罪のない人々のあたたかな日常を虚無と大差ない程に極めて小さな単位まで分解し、物理世界から完全に消し去ってしまった僕。説明会に参加していないので、きっと元に戻す方法も分からないだろう。

 

申し訳ない。僕がアホなばっかりに。

 

あなたが僕に、「ちょっとトイレ行ってくる。机の上のそれ、触らないでね。爆発しちゃうから」と言ったとしよう。僕は触る。机の上のそれは爆発し、みんな死ぬ。

 

申し訳ない。僕がアホなばっかりに。

 

昼間コンビニに行ったときにカスタード味だと思って買ったパン、さっき確認したらイチゴ味だった。僕はイチゴ味が食べられない。

 

申し訳ない。いや、別に申し訳なくはない。

 

 

もうダメだ。僕は何もしちゃいけないんだ。

 

なんでこんなにアホなんだ。

 

アホがいくら考えても結論は出ない。

 

 

なぜならアホだから。

 

 

アホだからもう寝る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#4 アメスピが1箱420円になったよ

僕が吸っている煙草、『アメリカンスピリット』の価格が20本入り600円から14本入り420円にリニューアルした。旧パッケージと見比べてみればその違いは一目瞭然。厚みが0.75倍くらいになっている。



ばかやろう!なにをやってる!今すぐ20本入り600円に戻せ!ふざけるな!


情けないぞ、日本たばこ産業株式会社。商品名に『米国精神』などという大仰なお題目を掲げていながら、他銘柄との価格競争で優位に立つべくサイズダウンに踏み切るとは何たる体たらく。「600円だと売れないかも……。本数減らして420円にしたら、みんな買ってくれるかなぁ……」じゃねぇんだよ。お前らはマフラーから黒煙を撒き散らすSDGsガン無視ゴミ燃費バカデカ車に乗って荒野の夏空に爆音をこだまさせながらヒビ割れだらけのルート66を地平線までかっ飛ばす「こまかいことはいいぜメン」的ゴキゲンアメ公のノリをモットーにすべきだろ。右折する時に左にふくらむハスラー乗りのババアみてぇな腑抜けた根性で商いを営んでんじゃねぇ!


本場のアメリカ人に胸を張って今の日本のアメスピを見せられるか?僕だったら恥ずかしくてそんなこと出来ない。奴らは消火器サイズのコーラを何本もおかわりしながら1クラス分の給食なみの量のフライドポテトを夕食前の腹ごなしに平らげるような大バケモンだぞ。目に映る全てがLサイズの国に住んでるんだ。14本入りのアメスピを見たら「コノ薄ッペライ箱ガ『米国精神』?笑ワセナイデクダサ〜イ。『島国根性』ノ間違イデ〜ス!」って小馬鹿にしてくるに決まってる。


日本たばこ産業株式会社よ、悔しかったら次の新商品開発会議に僕を呼んでくれ。力を合わせて一緒に1600本入り18000円の新パッケージをつくろう。広辞苑みたいなサイズ感のアメスピアメリカ人をOMOTENASHIして、「カートン?」って聞かれたら「1箱」って答えるんだ。奴らが「クレイジージャパン!」って叫びながらビビってウンコ漏らすとこみんなで見てやろうぜ!!



#2「お前デブすぎ!」ではなく「美味しいご飯たくさんありますよね」と言おう


僕の髪型はスキンフェードのバズカットである。頭のてっぺんあたりの髪を1センチくらいに刈り揃え、そこから下に向かってミリ単位で少しずつ毛が短くなるように調節していき、最終的には耳の辺りで長さをゼロにするという、人間の頭皮の上で黒から白へのグラデーションをつくるバカみたいな髪型だ。


僕のこの髪型を「坊主」と称する人がたまにいるが、ノー、そいつは大きな間違いである。僕の頭は坊主ではなくバズカットなのだ。どうかバズカットと言って頂きたい。


聡明なあなたは「バズカットは坊主刈りの英訳だから結局同じ意味だろ。同じ意味なら坊主でいいじゃん」とお思いかもしれないが、しかしよく考えてみてほしい。「胚に成長する前のゲル状のヒヨコを卵殻から取り出しフライパンで加熱したので食え」と、「目玉焼き作ったよ」だったら、恋人に言われたときワクワクするのはどちらの方だろうか。言葉の意味はふたつとも同じだが、僕なら断然、後者の方にワクワクする。前者の言い方からはどこか猟奇的な嗜好を感じるので、言われた瞬間「僕がコイツをなんとかしないと……」って気持ちになるだろうが、後者の言い方からは親しみや優しさを感じるので、たくさん感謝をしたくなるし、言われた瞬間お腹がすく。「僕にも何か出来ることはないかな……」って気持ちにすらなる。もういちど断っておくが前者も後者も言葉の意味は同じだ。


また、「ようこそ!沖縄へ!」と「めんそ〜れ!琉球へ!」だったら、着陸後にスチュワーデスさんに言われたときワクワクするのはどちらの方だろうか。この場合もやっぱり、後者の方に軍配が上がる。前者には「ハァ?急に話しかけられたんだが」程度の感想しか抱けないので、すれ違いざまに舌打ちしたあと飛行機のタラップを降りながらアスファルトの地面に唾でも吐きたくなるが、後者の場合は話が違ってくる。沖縄着いた瞬間に言われた「めんそ〜れ!」なんて一生忘れられない夏の思い出の1ページ目になること請け合いだ。エコノミークラスで傷めた背中もなんくるないさ〜。元気に「はいさい!」って挨拶をしたあと、巨大な回転寿司のレーンみたいなのがグルグル動いてる手荷物受け取り所までスキップである。


言葉と向き合うときには、その意味するところよりもむしろ印象の方をより重要視すべきだと僕は思う。同じ意味の言葉が複数あるときは、一番ワクワクするものを選ぶべきなのだ。「胸部」よりも「おっぱい」を、「給料」よりも「お賃金」を、「調理」よりも「クッキング」を人は選ぶべきなのだ。


あなたには、僕の髪型を「坊主」ではなく是非とも「バズカット」と呼んでほしい。


その方がお互いワクワクするからだ。